一般に「属人的」という言葉は、組織がネガティブな状態にあることを表すために使われますが、個人的な意見としては、大学においてはプロジェクト等が属人的であることは、必ずしも悪いことではないと思っています。
誰かが立ち上げ本人が情熱を持って運営していたものが、なんちゃら委員の担当業務となって引き継がれることで無駄に時間を食うだけのお荷物となったというプロジェクトの抜け殻は、研究・教育を侵害する害悪でしかないと思います。
それだったら、プロジェクト自体を継続するのではなく、リーダーが飽きたら畳んでまた別のプロジェクトを立ち上げるという仕組みを継続させるほうが、自発性やイノベーションが求められる大学という場所に合っているように思います。
それでも引継ぎを行ってプロジェクト継続する価値があるとすれば、それは業務内容だけでなく、立ち上げた者の想いまでをも継承できる場合に、限られると思っています。
さて、関西学院大学社会心理学研究センターを立ち上げた三浦麻子さんが大阪大学への転出されるわけですが、それでもセンターは継続すべきなのでしょうか?
時は2013年、センター立ち上げの2年前に戻ります。私、稲増一憲は「世論やメディアに関する計量社会学的研究」という自分の研究分野どストライクの公募を見つけ、半ば記念受験のつもりで応募した関西学院大学社会学部に着任し、専任講師として働き始めました。念願のテニュアを獲得したのですから、情熱を持って研究にまい進と言いたいところですが、正直言って、当時の自分は研究者としては死にかけの状態でした。
前職は、面接で研究内容についてはほとんど聞かれないといったポジションで、産学連携のPBLに加えて、インターンシップの指導と基礎ゼミを担当するのが仕事でした。つまり、研究や専門性に基づく授業が期待されたポジションではなかったということです。
そして、私はこの仕事に向いて…いすぎました。今振り返れば大学教育としてよい授業だとはまったく思えませんが、(そうしようと思えば)学生を育てることのやりがいと達成感だけは、味わえるポジションでした。
しかし、前職の3年間、まともに論文をチェックしておらず、研究会にも出ておらず、下手をすれば学会すら行かない、なんてことをやっていたわけで、知識も研究のスキルも、どんどん錆びついていきました。夏休みと春休みに(職場は相部屋であり、かつ部屋にいると学生のたまり場になって研究ができないので)母校の図書館に籠って博論を書き上げるのが精いっぱいでした。
そんな状態でしたから、テニュアを獲得し専門性に基づく授業が担当できるようになったから研究をしようと思っても、錆びつきかけた院生時代の遺産くらいしか武器はなく、当然うまくいかずに、焦りばかりが募っていきました。
そんな時、研究者としての私を救ってくれたのがお隣の文学部の三浦麻子さんでした。
Twitterでつぶやいたちょっとしたアイデアを拾われて、その場で共同研究が始まりました。共著論文には、これでもかというくらい赤を入れられまくりました。最初は「院生じゃないんだから」と少し落ち込んだり、腹を立てたりもしたのですが、そういえば、院生時代にも査読前にここまで熱心に論文に赤を入れてもらったことはなかった、と思うと、こんなにありがたい話はない、と思うようになりました。その後三浦さんとは共著で6本の業績を出し、もうすぐ7本目が査読を通ると思います。
このように研究業績を挙げられるようになったことも重要ですが、それよりも何よりも、その過程で「研究はしかめっ面をしてやるもんじゃないよ」と研究を楽しむことを思い出させてくれたことが、今の自分を形作っています。
そして、社会心理学研究センターのミーティングでは、三浦さんは私だけでなく、それぞれに「あなたは統計講師でもプログラマーでもなく、社会心理学者だ」「院生の研究を熱心に指導しているのは分かったけど、あなた自身の研究は?」と、研究者であり続けるための言葉をかけられていました。
社会心理学研究センターは、そんな三浦さんの想いが具現化した場所であり、研究を心から楽しもうとする者たちが集う場所、日々の忙しさの中で自分が研究者であることを忘れそうなとき、それを思い出させてくれる場所だと、私は思っています。
3月の合同ゼミでは、三浦ゼミ、小川ゼミ、清水ゼミ、稲増ゼミに進学予定の大学院生たちが発表を行いましたが、きっと彼ら彼女らも、そんな場所に惹かれたという面があるのではないでしょうか。
三浦さんの代わりは誰にも務まらないことは、もちろんよく分かっていますが、この場所は、誰かが受け継ぎ守る必要があり、その役割を三浦さんに恩を受けた自分が担うのは、使命かもしれないと思っています。こんな長文を書いてしまうくらい気負ってはいますが、清水さん・小川さんもいるし、三浦さんも客員研究員としてセンターに残ってくれるので、まあなんとかなるだろう、と楽観的に捉えています。
というわけで、2019年4月1日より、二代目センター長となりました稲増一憲です。みなさま、よろしくお願いいたします。